アトリエ 訪問

2022年1月下旬の土曜日、日本橋駅からもほど近いSPCギャラリーの個展会場で玉征夫さんに会い、
現在の思いを綴った文章いただいたので、それを転載させていただきます。

玉征夫(タマイクオ)さん

「事変2022」個展会場で

☆玉征夫さんの…

在宅時間が増え、お互いを気遣うので妻も私も大変だと思います。出かけるのは、近所へは車での買い物のみですが、スーパーへ一緒に行く機会が増え、物価が分かるようになりました。東京に限って言えば、週1回出るぐらいになってしまいましたね。そして大きな変化と言えば、酒量は減ったこと。あとは、かなり運動不足になったと自覚しています。
作品制作に関して言えば、顔のドローイングと木彫ばかりやっていて、その成果を昨年に続き今回の個展でも発表しました。作品発表ですが、SPCでの個展は予定通りに行いましたが、2020年開催予定だった沼津の美術館での個展はコロナ禍で中止、今年の5月にやることになりました。ご覧いただければ幸いです。


玉征夫 新作展「事変2022」より:
「事変と棄民」 玉征夫
幼い頃、家の周りは空襲の焼け跡ばかりであった。戦争に大人たちも懲りていたので、平和は永遠に続くと思っていた。しかし平和と戦争の境目は解らないようだ。わかった時は遅いのだろう。1937年は日華事変のあった年だが、前年に召集された父が砲兵として参戦している。私の実記憶の始まりは戦後の光景にあるが、なぜか父の関わった満州が記憶の源流もように思えてくる。2015年より発表している「事変の夜」は戦中の宴という、ありえない妄想を表現したものであった。もっとも当時の指導者の無能さを考えると、現実にあった気がする。
「事変」を冠したシリーズを始めたのは、2017年の個展からであった。日中戦争で中止となった1940年のオリンピックを2020年の状況に重ねるのが最終目標だったが、コロナ禍の影響で修正するはめとなった。結果、現れてきたのが「棄民の裔」である。
今回発表する「棄民の裔」は昨年に続くものである。顔を描くようになったのは、コロナ禍で人々が分断して行く様を見る機会が増えてきたからだ。顔を描くと言ってもふだん絵を描くことと異なる。木彫においても習作する気分でやっている。顔に特定のモデルはいない。ドローイングや木彫をやっていると雑縁が無くなり、顔と対話するようになる。その顔を見ていると満州孤児のことを想う。彼ら私と同世代である。
私が小学校四年生の頃、一年生の妹のクラスに満州から引き揚げてきた人の子弟が編入されてきた。会ってみて驚いた。私よりかなり年長だったからだ。事情を聞くと、会話はともかく、読み書きができないということであった。満州について知るのは後年になる。
戦後、満州に取り残された邦人に対して、吉田茂首相の日本政府は、本土の食糧難などを理由に彼らの帰還を拒否したのである。祖国に見離され、棄民となった彼らを救ったのは皮肉にも米軍であった。もっとも人道を理由に彼らを助けたわけではない。絶望した残留日本人が、共産主義者になるのを恐れたからである。
棄民は現代もある。原発事故で福島を追われた人が、ホームレスになった話を聞くと、満州に棄てられた人々と何ら変わらない気がするのである。常ならぬ日常となったコロナ禍は、終わりが一向に見えない。終わりがあるとしても自己責任は待っている。



 



プロフィール

玉征夫さん
◇玉征夫(タマイクオ)さん
アーティスト
1944:岐阜県高山市出身
〇主な活動歴
個展
1982~2012:画廊春秋(東京)、村松画廊(東京)、真木画廊(東京)、Atelier Meidsem(パリ)、J2GALLERY(東京)他
1991~1998:ギャラリー宏地(東京)
2003~2022:SPC GALLERY(東京)
グループ展
1993~1998:DRAWINGS ギャラリー宏地(東京)
2012 画廊の系譜「浅川コレクションと1960~80年代日本の美術」足利市立美術館(足利)
2012~2016:HOLONIC「個と全体の調和を図る」GALLERY UNICORN(川越)
2016:連画のいざない 足利市立美術館特別展示室(足利)他 
2019:「浅川コレクションの世界-創造へともなう眼」足利市立美術館
 
「事変2022」DMと「事変と棄民」原文 ドローイング作品 木彫作品 取材当日の日本橋駅付近

 

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