梅雨最の中7月中旬、相鉄線希望ヶ丘駅近くにある
シモン都霞さんのご自宅を訪ね「これまでコレカラ」を語っていただきました…
アトリエ 訪問
☆「これまで コレカラ」☆
シモン都霞(とか)さん
☆シモンさんの…
これまで:
これまで:大学入学時に間違ってアメフト部に入ってしまい1年間アートの世界から少し離れてしまいましたが、2年に進む前になんとか退部。それ以後は彫刻に邁進し、大学を卒業する頃には彫刻用のアトリエスペースを探しに埼玉県寄居町や皆野町を彼女と一緒に歩きました。見つけた所の家賃は驚くほど安かったのですが全てが山の中。で、その状況で作品制作はできても生活の糧を得るのは無理と分かり24歳で彫刻を諦め、木版画を始めました。しかし、私には多色刷りの技術がなく色黒作品しか制作できず不満が募った26歳の時、「私は絵をやるために東京へ来たんだ」と突然気付いたのです。以後は絵に専念、それで1年後の1988年、27歳の時に銀座のオカベ画廊で初個展を開催、展示作品はほぼ抽象画でした。2回目は32歳、京橋寄りのギャラリーで行い、抽象も具象も展示しました。加えてあの頃から友人の縁で、今はもうない自由が丘のもみの木画廊で5年間、年に一度、企画で個展開催ができるようになりました。作品評価で私は「首尾一貫してない」と言われることもありましたが、自分としてはエロも含めプリミティブなものを終始追いかけているし、私自身が好きならば良いと思い絵を描いていました。ところが、2016年9月に私の状況が一変したのです。
コレカラ:
2016年9月、以前から病んでいた目の具合がかなり悪化、何度か手術もしたのですが普通の状態の視力視野に戻らず、3号ぐらいの小さな絵ですら全体像が分からなくなり、私は創作意欲も奪われ絶望に打ちひしがれました。そんな状態を見かねて救いの手を差し伸べてくれたのが、横浜在住のアーティスト、ロコ・サトシさんでした。「お前の作品は抽象だから目が悪くなっても描ける」と言われ、ロコさんから直々に独自レッスンを受けたり、ユニークなヘッドペインティングを伝授されライブを行ったりと、かなり動きました。そして、それが功を奏し悩む時間がなくなると同時に見えないながらも目の状態も安定して来たので、去年ぐらいから自分の次の活動場所が見えてきたのです。そこは以前、宮ちゃん(=宮島永太良さん)に紹介されたアーティスト森下泰輔さんらが運営するギャラリーART
Lab
TOKYO(ALT)、現代アートの表現の場であり、ユニークなアーティストも所属していて私の好きな方向性を示しているのです。既に2019年1月にALTで行われた「アートバースデー展」から参加させてもらっていますが、いま自分が思案思考しながら制作している金箔でプリミティブな作品「メディテーション(瞑想)」を用いた何かしら自分自身の表現もALTで新たな展開ができればと考えています。それが実現するかどうか分かりませんが、私はこれからも自分の道を歩んで行きます。
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